旅に出ると、つい写真をたくさん撮ってしまいます。
でも、不思議なことに、長くその場所にいるほど、シャッターを切る理由は少しずつ変わっていくような気がします。写真は、遠くへ行く理由にも、すぐそばにあるものを見つめ直す契機にもなる気がします。そんな遠近感のあいだを行き来しながら、今日も世界のどこかで、新しい一枚が生まれています。
From the Journal
7月最終週のISSUEでは、写真を通じて誰かと出会うこと、そして自分の見方をもう一度たしかめることが、いくつかの記事に重なっていました。
Shutter Hubさんの記事には、cizucuとも親和性のある活動が、海の向こうでもコミュニティとして息づいていることが綴られていました。写真を続ける人たちが出会い、支え合い、互いのまなざしを広げていく。その中心にいる代表Karenさんの物語からは、写真が一人の表現にとどまらず、誰かの居場所をつくる力を持っていることが伝わってきます。
遠くへ行くことだけが、旅ではないのかもしれません。写真を通して誰かと出会い、互いのまなざしを少しずつ広げていくこと。その積み重ねもまた、cizucuが大切にしたい旅のひとつです。
Memory Note
財布の中に、誰かの写真が入っていませんか。
今回は、Roger Huangさんの写真投稿「皮夾裡的二十年」を紹介させてください。繁体字中国語の「皮夾」は、日本語で「財布」のこと。Rogerさんの母が若かった頃の証明写真は、Rogerさんの知らない二十年ものあいだ、小阿姨(母方のおば)の財布の中にしまわれていました。
這是一張我母親年輕時的大頭貼,它在我不曾參與的時光裡,安靜地待在我小阿姨的皮夾裡整整二十年。
身近だと思っていた人が、なぜか遠い日の記憶として現れる。イメージは捉えようとしなければ、すぐに消えてしまうものです。時には、カメラをしまって、写真を探すための旅に出てみましょう。
財布の中で守られてきた一枚から、家族の記憶や、自分がまだ知らなかった時間が立ち上がるはず。

今月の問い
長く見つめたからこそ、撮れた写真はありますか。
遠くへ行ったときの写真でも、いつもの場所で撮った写真でも構いません。
なぜ撮ったのか。
なぜ残っているのか。
なぜ、今も見返してしまうのか。
その一枚のそばに、小さな言葉を置いてみてください。
また来月、世界のどこかで生まれた一枚と、その周りにある小さな物語をお届けします。
cizucu編集部

